2006年07月17日

にやを骨まで愛して(長いエントリ)

老猫にやは2006年4月21日に永眠しました。
もうすぐ3ヶ月が過ぎます。

20060717_niya01.JPG
去年あたりから少しずつ痩せ始め、
たっぷり蓄えた脂肪も少しずつ下に垂れ下がってきて
「もう年だから縮んできちゃったのかねえ」なんて思っていました。
活発に動くことも少なくなっていました。

去年の暮れ、突然にやの挙動がおかしくなったことがありました。
風呂場の方に行き、落ち着きのない様子で苦しそうに鳴いていました。
何を訴えているのかまったくわからないままでしたが
今度は台所のマットあたりにごろんと寝転がり、
そのままの姿勢で便を出しました。
「便が出なくて苦しかったのね、出てよかった」とそのときは病院には行きませんでした。

年が明け1月末、激しい嘔吐が続けて2回ありました。
吐いた液体が赤く、血が混じっているように見えました。
以前から吐き跡が赤くなっていることがあってとても気がかりだったのですが、
吐き方が尋常ではない様子だったので、確かこのときは病院に行きましたが
薬を処方されたくらいで、大きな病気は見あたらなかったと記憶しています。

2月末、やはり具合が悪く、目やにがひどかったので病院へ。
血液検査の結果も芳しくない。
にやは持病があって、基本的には病院指定の餌しか与えないことにしていたのですが、
市販の餌より味が劣るのでしょう、いつもたくさん食べることはありませんでした。
それでは栄養がつかない、ということで
獣医さんから「好きなものをたらふく食べさせてOK」の許可が出ました。
それからは、なまり節・甘エビを与えました。

3月半ば、にやの歩き方がおかしいことに気付きました。
左前足をグーにした状態でまっすぐ伸ばし、
フローリングにすべらせながら歩いていました。
確実に危ない兆候だと思い、翌日病院で検査してもらったところ、
ここで腫瘍を発見しました。検査結果は癌でした。
歩き方がおかしかったのも左足が麻痺していたから。
そのあと、左目の膜が濁っているな、と思っていたところ
顔の左半分も麻痺していることがわかりました。
左目は閉じることが出来ず視力もない、
口の左側では食べれない、という状態でした。

何処まで治療をしてやるか、判断に悩みました。
抗ガン剤治療を受けるには、猫自身の体力も必要だし
猫の病気につきあう飼い主の根気も試されます。
もちろん治療費もかかります。
病気になる前は、ペットに高額治療なんて、とも思えましたが、
いざ病気がわかると、何としてもガンの転移を防ぎたい、
少しでも長く一緒にいたい、という思いが勝りました。
ただ、にやが治療や入院をしてでも長生きしたかったか、
知る術がありません
(日頃のにやの様子から察すると
「無理したくない」という答えが返ってきそうですが)。
このあたりはどう転んでも飼い主都合の選択なので、とても辛いところです。

結局、抗ガン剤治療を2度受けました。
1度目は輸血などでなんとか体力を上げさせての治療。
調子のいい日もあり、悪い日もあり、それで一喜一憂。
数日間入院したところ、容態悪化で緊急退院。
見るからに瀕死状態で飼い主が青くなってしまいました。
それから少しずつ復調。
嫌々ながらも餌を食べさせたりミルクを飲ませたり。
人のベッドでの粗相が激しくなって、
寝室におしっこの臭いが漂うのに耐えられず
「にやが布団に入ってくるのもうやだ」と泣き言を言うと
「病気になったから布団に入れてやらないなんて、今さら出来ない」と夫に怒られました。
その後は防水シートを敷くことで布団にしみこむのを防ぎ、
トイレに間に合わなかったときのために、にやにはおむつをさせました。

退院後は頻繁に皮下注射とステロイド投与。
そのおかげか一時期はとても元気になりました。
病院に連れて行くと「もう帰るー」と自分から猫バッグに入ろうとし
抵抗するときの力も強くなっていました。
それまではそんな元気すらなかったので、喜ばしいことでした。
治療再開できそうですね、ということで
次の日曜日に再入院することを決めました。

その週末は夫が不在だったので1人でにやの世話をしました。
嫌がるにやを無理矢理食餌させておむつ替え。
私の力が強すぎるとにやの骨を折ってしまいそうで
とても神経を使いました。
でも何より嬉しかったのは、にやが私の膝でくつろいでくれたこと。
病気になる前は、人の膝に無理矢理しがみついてなかなか離れなかったのに
元気をなくして以来、人とのスキンシップ拒んでいるようだったので、
膝に乗ってくれるとういことは、調子のいい証であったと思います。

入院の日の血液検査は今までにないほどいい結果でした。
数ヶ月間血中タンパクが平均値の半分以下をさまよっていたのが、
平均値まで上がり、獣医さんも私も驚きました。
晴れ晴れしい気持ちで「にやがんばってね」と
安心してあっさり引き渡してしまいましたが
元気なにやの姿を見たのはこれが最後でした。

2度目の治療後、あまり元気はないようでした。
時間のあるときは10分でも見舞いに行きましたが、
入院やだ、家で落ち着きたい、という顔をしていたように見えました。
いつもいつも後ろ髪を引かれながら病院をあとにしていました。
4月20日、この日は見舞いに行きませんでした。
自分の都合があったり朝から大雨で仕事まで時間がなかったこともあって
「にや今日はゴメン」と懺悔してまだ元気でいることを信じていましたが。

その日の夜に容態悪化で緊急退院しました。
これが山場になるだろうという獣医さんの連絡があり
看取るならば家がいいということで夫が連れ戻しました。
呼吸が速く、体温が下がり、食餌どころじゃない様子。
体を撫でたり手足をきゅっとにぎったりした後、その場を去ろうとすると
そばにいて、なのか、苦しい助けて、なのか、
今までに聞いたことのないか細い声で鳴きました。
その晩はにやをつぶさないように添い寝をしました。

翌朝、何とか私が家に戻るまでは、と祈りつつ会社に行きましたが、
私が帰る前、夜19時過ぎ頃亡くなりました。
病気がわかってからずっと覚悟はしていたけれど
「知らせ」があって、ようやくお迎えがきたんだな、
もうにやは苦しまないでもいいんだな、と安堵の気持ちの直後、大泣きでした。
家に着き、保冷剤に囲まれて冷たいにやを抱きました。
首がすわってないので、折らないように気をつけました。
細くて、硬直して、すべての脂肪を使い果たした抜け殻になっていました。
腫瘍が見つかってからちょうど1ヶ月でした。

次の日火葬に出す前、にやのひげを2本頂戴しました。
遺骨は持ち帰りました。
にやの体の一部として、遺骨とひげが手元に残っています。
毛根をなくしても、ひげはピンと張りがあります。



にやの力を最大限に引き延ばしたいという思いで治療に踏み切りました。
大五郎もにやへの輸血で協力してくれたし、
夫も私もにやを助けようと必死で介護をした、と思います。
でもやはり、治療がにやの死期を早めてしまったのか、
なぜあの日に見舞いに行かなかったか、入院の時にあっさり引き渡したか、
吐き跡に血のようなものが混じっていたのにすぐに診てもらわなかったか、
そういう気持ちも拭い去れません。
誰かの死に際してはいくつかの悔いが付きまとうものかもしれない、と思いつつ。

にやの世話をしながら、日々衰えていく姿を見ながら
少しずつにやが死ぬことを受け入れることができたのは
私にとって幸いでした。
そして、元々の飼い主である夫は
平日のほとんどの世話をしてくれたので、感謝しきれません。

にやの病気と向き合えてよかったと、素直にそう思うのですが、
この世話が半年、1年と続いたとき、
人間の生活にも支障を来していたかもしれません。
とくに夫は平日の外出が制限されてしまい、仕事にならなかったでしょう。
こんなことを考えるのも人の勝手な都合に過ぎませんが。



ときどきにやの夢をみます。
抱くとふわふわ・ふくふくの感触があります。
目覚めたときは、幸福と喪失が混じり合ってひどく切なくなります。

それでも、いつも「にやー」って名前を呼んだり
挨拶をしたりせずにいられません。
posted by 吉田 at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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